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東京高等裁判所 平成7年(行ケ)231号 判決 1997年2月04日

大阪府大阪市西区土佐堀1丁目4番11号

原告

大日本除蟲菊株式会社

代表者代表取締役

上山英介

訴訟代理人弁護士

赤尾直人

弁理士 萼経夫

中村壽夫

宮崎嘉夫

加藤勉

東京都千代田区神田司町2丁目9番地

被告

アース製薬株式会社

代表者代表取締役

大塚正富

訴訟代理人弁理士

亀井弘勝

稲岡耕作

深井敏和

主文

1  特許庁が平成6年審判第18122号事件について平成7年8月3日にした審決を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第1  当事者が求める裁判

1  原告

主文と同旨の判決

2  被告

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決

第2  請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

被告(審判被請求人)は、名称を「加熱蒸散装置」とする特許第1849510号発明(以下、「本件発明」という。)の特許権者である。なお、本件発明は、昭和57年10月20日に実用新案登録出願(昭和57年実用新案登録願第159944号)され、昭和62年8月10日に特許法46条1項の規定により特許出願(昭和62年特許願第200619号)に変更され、平成3年4月13日付け手続補正(同年5月13日差出。以下、「本件補正」という。)等を経て、平成4年2月27日に出願公告(平成4年特許出願公告第11172号)、平成6年6月7日に設定登録がなされたものである。

原告(審判請求人)は、平成6年10月24日、本件発明の特許を無効にすることについて審判を請求し、平成6年審判第18122号事件として審理された結果、平成7年8月3日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決がなされ、その謄本は同月26日原告に送達された。

2  本件発明の要旨(別紙図面A参照)

吸液芯を具備する薬液容器、該薬液容器を収納するための器体、器体に収納された薬液容器の吸液芯の上部の周囲を周隙を存して取り囲むように、器体に備えられた電気加熱式の筒状ヒーター、該ヒーターの上方を覆うように器体の上部に備えられた天面及び上記周隙の上方で開口するように上記天面に設けられた蒸散口とを具備する加熱蒸散装置において

イ  器体に器体内空間から上記周隙を経て蒸散口に通ずる上昇気流を発生させる為の外気取り入れ口が設けられ、

ロ  蒸散口と上記ヒーターとの間に0.5~2.5cmの距離が設けられ、

ハ  蒸散口は、周隙と略々等しいかこれより大きい口径で開口している、

ことを特徴とする加熱蒸散装置

3  審決の理由の要点

(1)  本件発明の要旨は、その特許請求の範囲に記載された前項のとおりのものと認める。

(2)  これに対し、原告は、本件発明の特許は、以下の理由によって、特許法123条1項1号の規定により無効とされるべきであると主張する。

<1> 特許無効理由1

本件補正は、願書に添付された明細書及び図面(以下、「当初明細書又は図面」という。)の要旨を変更するものであるから、本件発明の特許出願は、特許法40条の規定(平成6年法律算116号による改正前)により本件手続補正がなされた平成3年5月13日とみなされる。そして、本件発明は、その特許出願前に頒布された昭和59年実用新案登録願第13778号(昭和60年実用新案公開第125876号)の願書に添付された明細書及び図面の内容を撮影したマイクロフィルムの写し(昭和60年8月24日特許庁発行、甲第2号証の5。以下、「引用例1」という。別紙図面B参照)に記載されている発明であるから、特許法29条1項3号の規定により特許を受けることができない(なお、本判決に摘示する書証番号は、すべて本件訴訟におけるものである。)。

<2> 特許無効理由2

本件発明は、下記のものに記載されている技術的事項に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法29条2項の規定により特許を受けることができない。

昭和45年実用新案出願公告第29244号公報(甲第3号証の1。以下、「引用例2」という。別紙図面C参照)

中外製薬株式会社及び中外会事務局昭和41年7月8日発行「中外会ニューズ」(甲第4号証の1)

中外製薬株式会社及び中外会事務局昭和42年5月1日発行「中外会ニューズ」(甲第4号証の2)

中外製薬株式会社より市販されたバルサン電気蚊とり器本体の写真(甲第5号証の1)

上記バルサン電気蚊とり器の薬液容器の写真(甲第5号証の2)

上記バルサン電気蚊とり器の断面図(甲第5号証の3。別紙図面D参照)

昭和44年実用新案出願公告第8361号公報(甲第6号証。以下、「甲第6号証刊行物」という。別紙図面E参照)

意匠登録第283566号公報(甲第7号証。以下、「甲第7号証刊行物」という。別紙図面F参照)

昭和53年実用新案登録願第42577号(昭和54年実用新案出願公開第145670号)の願書に添付された明細書及び図面の内容を撮影したマイクロフィルムの写し(昭和54年10月9日特許庁発行、甲第8号証。以下、「甲第8号証刊行物」という。)

昭和43年実用新案出願公告第25081号公報(甲第9号証。以下、「甲第9号証刊行物」という。)

<3> 特許無効理由3

本件発明は、その特許出願前に公然知られたバルサン電気蚊とり器(前掲甲第4、5号証、甲第6号証刊行物、甲第7号証刊行物)と実質的に同一であるから特許法29条1項1号の規定に該当し、または、バルサン電気蚊とり器と甲第8号証刊行物、甲第9号証刊行物及び昭和56年特許出願公開第81101号公報(以下、「甲第10証刊行物」という。)記載の技術的事項に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法29条2項の規定により特許を受けることができない。

(3)  判断

<1> 特許無効理由1について

まず、本件補正が当初明細書又は図面の要旨を変更するものであるか否かについて検討する。

原告は、本件補正は、下記のa~eの点において当初明細書又は図面の要旨を変更するものであると主張する。

a 蒸散口と筒状ヒーターとの距離についての規定及び実験例の導入

本件補正により、特許請求の範囲に、蒸散口とヒーターとの距離を0.5~2.5cmにするとの規定が導入された。当初明細書には、ヒーターと安全カバーとの距離を0.5~2.5cmにすることは記載されているが、「蒸散口とヒーターとの距離」と「ヒーターと安全カバーとの距離」は異なるから、当初明細書及び図面には、蒸散口とヒーターとの距離を0.5~2.5cmにすることは記載されていない。また、本件補正により実験例1が導入され、該要件の効果が追加されている。

b 周隙に対する蒸散口の口径の拡張

当初明細書では、蒸散口の口径は「周隙の直径と略々等しいか若干大きい」とされていたが、本件補正により、特許請求の範囲には「蒸散口は、周隙と略々等しいか或いはこれより大きい口径で開口している」と記載され、また、追加された実験例では、蒸散口の口径が周隙の直径の1.5~2.5倍のものまで本件発明の例としている。このように、本件補正後の特許請求の範囲は、当初明細書及び図面に記載のない範囲にまで拡張されている。

c 器体に対する外気取り入れ口を設ける位置の拡張

当初明細書及び図面では、通気口(外気取り入れ口)を設ける位置について、器体胴部が示されているだけであったが、本件補正後の特許請求の範囲には「器体に…外気取り入れ口が設けられ」と記載され、外気取り入れ口を胴部以外の器体部分に設ける場合も含むようになった。

d 薬液の拡張

本件補正により、当初明細書には記載されておらず、出願当時には使用されていない(製造販売が未承認)薬液であるプラレトリンを追加し、薬液が拡張されている。

e 「安全カバー」の「天面」への拡張

当初明細書に記載されていた「安全カバー」を、当初明細書に記載されておらず、それよりも広範囲の概念である「天面」に拡張した。これらの点について検討する。

a 当初明細書には、蒸散口は安全カバーに設けられるものであることが記載されており、また、「周隙(4)と蒸散口(12)が上下に一致して形成されていることと相俟って蒸散された薬液が安全カバー(11)の内面に付着しロスすることがきわめて少なくなる。」(252頁左下欄5行ないし9行)とあるように、薬液の付着によるロスは安全カバーに設けられた蒸散口の位置と関係することが記載されているから、当初明細書の「蒸散薬液の付着防止効果は、ヒータ(3)と安全カバー(11)の距離があまりあきすぎると低下する傾向となるので、この距離は2cm程度以内にすることが望ましく」(252頁左下欄9行ないし12行)という距離に関する記載は、ヒータと安全カバーに設けられた蒸散口の存する位置との距離についてのものであると解することができる。また、追加された実験例1は、新たな効果を追加するものではなく、出願時に記載された「蒸散薬液が安全カバー(11)の表面に付着することが少なく、薬液のロスを実質的になくし得る利点がある。また、安全カバー(11)の表面に蒸散薬液が大量に付着するとこれが凝縮滴下して器内を汚染したり、接点不良などの電気系統の故障原因となるが、本発明ではこのような問題も一掃できる。」(252頁左下欄16行ないし右下欄5行)という効果を確認するものにすぎず、特許請求の範囲に記載された技術的事項を変更するものとはいえない。

b 当初明細書に添付された図面の第4図及び第5図には、蒸散口直径が周隙直径よりも明らかに大きいものが記載されており、また、当初明細書に記載されたような安全カバーへの薬液の付着を防止するという観点(252頁左下欄5行ないし9行、左下欄16行ないし右下欄5行を参照)からは、蒸散口直径は周隙直径よりも大きければよいことは明らかであるから、この点は当初明細書又は図面に記載された事項あるいはそれから自明の事項である。

c 電気蚊とり器において、器体胴部の底側ないしは底側近辺に外気取り入れ口を設けたものは周知であり(意匠登録第259096号公報(甲第11号証)及び意匠登録第283802号公報(甲第12号証)を参照)、また、本件発明では、外気取り入れ口は器体外から器体内に外気が取り入れられ、周隙を経て蒸散口に至る上昇気流を発生させるものであれば、どの位置に設けられたものであっても発明の所期の目的を達成し得るものであることは明らかであるから、この点は、当初明細書又は図面の記載からみて自明の事項である。

d 当初明細書には、「本件発明に於て、薬液の有効成分としては従来より害虫駆除に用いられている各種薬剤を使用でき」(252頁右下欄6行、7行)と記載されているから、揮発性の薬液であれば本件発明の加熱蒸散装置において利用可能であることは当業者であれば当然理解できることであり、また、プラレトリンはピレスロイド系殺虫剤として周知のものである(昭和52年特許出願公告第45768号公報、昭和55年特許出願公告第15442号公報、昭和55年特許出願公告第16402号公報、昭和57年特許出願公開第4904号公報参照)から、この点は当初明細書の記載から自明の事項である。

e 当初明細書には、「安全カバー」はヒータの上方を覆うものであって器体の上面に設けられるものであることが記載されており、それが「天面」に相当するものであることは明らかであるから、この点は当初明細書の記載から自明の事項である。

以上のようにa~eの補正は、いずれも当初明細書の特許請求の範囲に記載された技術的事項を変更するものではないから、本件補正が当初明細書又は図面の要旨を変更するものということはできず、本件発明の特許出願日は平成3年5月13日であるという原告の主張は採用できない。したがって、引用例1は、本件発明の特許出願前に頒布された刊行物であるということはできず、原告主張の特許無効理由1は採用できない。

<2> 特許無効理由2について

引用例2には、吸液芯を具備する薬液容器、該薬液容器を収納するための器体、器体に収納された薬液容器の吸液芯の上部の周囲を周隙を存して取り囲むように、器体に備えられた電気加熱式の筒状ヒーター及び該ヒーターの上方を覆うように器体の上部に備えられた天面を具備する加熱蒸散装置が記載されていると認められるが、外気取り入れ口に関する記載自体がなく、この点を示唆するような記載もない。

本件発明と引用例2記載のものとを比較すると、両者は、吸液芯を具備する薬液容器、該薬液容器を収納するための器体、器体に収納された薬液容器の吸液芯の上部の周囲を周隙を存して取り囲むように、器体に備えられた電気加熱式の筒状ヒーター及び該ヒーターの上方を覆うように器体の上部に備えられた天面を具備する加熱蒸散装置である点において一致するが、本件発明では器体に器体内空間から周隙を経て蒸散口に通ずる上昇気流を発生させる為の外気取り入れ口が設けられているのに対し、引用例2記載のものではその点が特定されていない点において相違する。

この相違点について検討するに、甲第5号証により特定される甲第4号証記載のバルサン電気蚊とり器は、その写真(甲第5号証の1、2)及び断面図(甲第5号証の3)をみる限り、器体内と外部を連通する開口部(外気取り入れ口)は有すると認められるものの、その吸液芯とヒーター内面との間隙下部は閉鎖されており、外気取り入れ口は、本件発明のような「器体に器体内空間から上記周隙を経て蒸散口に通ずる上昇気流を発生させる為の外気取り入れ口」、すなわち、外気が周隙下方から周隙を通って蒸散口へと至るものではない(本件発明の外気取り入れ口がこのようなものと解される点は、特許無効理由3についての判断を参照)。

甲第6号証刊行物には、「外側にヒーター4を具えた熱伝導性の金属筒3を、外殻1の上方部に固着した支持体2に装着し該支持体2の下部に着脱自在に殺虫液収納容器6を装備し、該殺虫液収納容器6内の殺虫液に一端を浸漬し、且つ他端を前記金属筒3内に於て間隙9を少なくとも有するように構成した吸い上げ芯8を前記金属筒3内に挿入装備してなる殺虫液発散器」が記載されており(実用新案登録請求の範囲)、また、該発散器においては、金属筒と吸い上げ芯との間に間隙を形成してある結果、気化した有効成分は間隙に生ずる上昇気流により速やかに外部に発散できることが記載されている(2欄36行ないし3欄1行)。

しかし、甲第6号証刊行物には、器体に外気取り入れ口を設けることは何ら記載されていない。また、その図面に記載されたものは、吸液芯とヒーター内面との間隙下部が閉鎖されたものであって、上記記載における「上昇気流」は、下端の閉じた間隙の中での加熱空気の対流により生じるものであり、取り入れられた外気が周隙を経て上昇するものではないと解するのが相当である。すなわち、甲第6号証刊行物は、本件発明のような「器体に器体内空間から上記周隙を経て蒸散口に通ずる上昇気流を発生させる為の外気取り入れ口が設けられ」た加熱蒸散装置を示唆するものではない。

甲第7号証刊行物には、外気取り入れ口らしきものを設けた電気蚊とり器が記載されているが、その詳細な構成は不明であって、本件発明のような「器体に器体内空間から上記周隙を経て蒸散口に通ずる上昇気流を発生させる為の外気取り入れ口が設けられ」た加熱蒸散装置が記載あるいは示唆されているということはできない。

甲第8号証刊行物には、上方及び下方に電気流通部を有する円筒体内でヒータ板により加熱された電熱板により薬剤を含浸した担体を加熱して蒸散させる装置が記載されており、装置の下方から円筒内に空気を導入して、円筒体内の揮散した薬剤を上昇気流により勢いよく吹き上げて揮散させることが記載されている(2頁5行ないし3頁7行、第2図)。

また、甲第9号証刊行物には、器筐の内外を気体が連通しうるようにした穴を穿設した器筐内に電気発熱体を支持せしめ、器筐底部には薬液容器を着脱自在にとりつけ、この薬液容器に突出させた薬液吸上用の芯を設け、これを電気発熱体に接触させた電熱式殺虫器具が記載されており、発熱体が起動すると器筐内において発熱体と接触する空気は温度が上昇する結果、上方へ流動する一方、器筐底部から冷たい空気が流入し、器筐は煙突式作用効果を呈するようになること(1頁左欄下31行ないし35行)、及び、器筐自体が煙突式作用効果を奏し、これによって空気が器筐下部から上方に流動する結果、この空気の流れに載って熱により揮散した有効成分を更に拡散できること(1頁右欄14行ないし17行)が記載されている。

しかし、甲第8号証刊行物及び甲第9号証刊行物に記載されているものは直接加熱式の加熱蒸散装置であり、吸液芯や筒状ヒーターとの間の周隙で効率よく蒸散させるため上昇気流を発生させることを示唆するものではない。

以上のように、甲第4、5号証あるいは甲第6ないし第9号証刊行物には、本件発明の構成要件である「器体に器体内空間から上記周隙を経て蒸散口に通ずる上昇気流を発生させる為の外気取り入れ口」を設けることが記載あるいは示唆されているということはできない。

そして、本件発明は、このような相違により、引用例2、甲第4、5号証あるいは甲第6ないし第9号証刊行物記載のものからは期待できない「ヒーター3の加熱による温度上昇により、外気が器体2の胴部のスリット状外気取り入れ口14より吸気されつつ周隙内を上昇する。而してヒーター3の加熱により蒸散した薬液は、周隙4内を上昇する上昇気流に随伴されて蒸散口2を通過することになるので、周隙4と蒸散口12が上下に一致して形成されていることと相俟って蒸散された薬液が安全カバー11の内面に付着しロスすることが極めて少なくなる。」(本件公報4欄30行ないし38行)等の効果を奏するものである。

したがって、本願発明は、引用例2、甲第4、5号証あるいは甲第6ないし第9号証刊行物記載のものに基づいて当業者が容易に発明をすることができたということはできない。

<3> 特許無効理由3について

本件発明における「器体に器体内空間から上記周隙を経て蒸散口に通ずる上昇気流を発生きせる為の外気取り入れ口」という構成要件の「器体内空間から上記周隙を経て蒸散口に通ずる上昇気流」とは、周隙の下端が解放されたものにおいて、外気が周隙の下方から導入され上方へ導出されることを意味すると解すべきか、あるいは、周隙の下端が閉じたものにおいて、外気が周隙の上方から導入され再び上方へ導出されることをも意味すると解すべきかについて検討するに、仮に、この記載が、外気が周隙の上方から導入され再び上方へ導出されることをも意味するとすれば、その結果として、「上昇気流」のみならず「下降気流」も発生することになり、薬液のロスの発生を防止するという本件発明の目的にそぐわないことになる。また、原告が主張するように、周隙の下端が閉じているバルサン電気蚊とり器においても、周隙内で甲第6号証刊行物記載のものと同様に上昇気流が発生するものとすると、外気取り入れ口がない状態であっても上昇気流が発生することになる。しかし、「上昇気流を発生させる為の」と明記されているということは、本件発明の「上昇気流」とは、主として外気取り入れ口を設けることにより生ずるような上昇気流を意味し、外気が周隙の上方から導入し再び上方へ導出するような間隙内の対流のみによる上昇気流を意味するものではないと解するのが相当である。

したがって、本件発明における「器体内空間から上記周隙を経て蒸散口に通ずる上昇気流を発生させる」とは、被告が主張するとおり、周隙の下方から周隙内を通って上方の蒸散口に至る上昇気流を発生させることを意味すると認める。

そこで、これを前提として、本件発明と、原告が本件発明の特許出願前に中外製薬株式会社から市販されたとするバルサン電気蚊とり器とを比較すると、前者では、周隙に発生する上昇気流は、周隙下方から導入された空気が周隙を経て周隙上方へ上昇するものであるのに対し、後者では、周隙に発生する上昇気流は、周隙の上方から導入された空気が周隙を経て周隙上方へ上昇するものである点において、少なくとも両者は相違している。

原告は、この点について、間接加熱式加熱蒸散装置において、吸液芯先端部と筒状ヒーターとの間の周壁の下端を開口させ、その下方より外気を導入することは知られている(甲第10号証刊行物の第1図)から、バルサン電気蚊とり器をこのように設計変更することは容易であると主張する。しかし、以下の理由a~cにより、甲第10号証刊行物には、吸液芯先端部と筒状ヒーターとの間の周隙の下端を開口させ、その下方より外気を導入することが記載されているとは認められない。

a 甲第10号証刊行物には、吸液毛細管とヒーターとの間隙を経て上昇気流を形成することについては何らの言及もない。

b 甲第10号証刊行物に記載されたものは、吸液毛細管の端面開口からのみ蒸散するものであり、本件発明のように吸液芯の加熱各部から蒸散するものではない。したがって、吸液毛細管の薬液が空気に接するのは毛細管の開口においてのみであり、上昇気流が形成されたとしても、本件発明のように吸液芯の側面からの薬液の蒸散が促進されるものではない。なお、甲第10号証刊行物には、毛細管断面のみでは蒸散量が少ない場合に吸液用蒸散端子を装着することが記載きれ、その例も示されているが、その例ではヒーターと毛細管の間隙の下端が閉じられているから、吸液用蒸散端子の側面からの薬液の蒸散を間隙下方からの上昇気流により促進するものではない。

c 第1図の例では、間隙下方は一応開放されているが、間隙に比較してきわめて狭く、それが空気流を形成するためのすきまであることが当業者に理解できる程度に開示されているとはいえない。また、甲第10号証刊行物の第1図の例は、器体の側面全体が開放されているものであって、器体に外気取り入れ口を設けたものではないから、「器体に器体内空間から上記周隙を経て蒸散口に通ずる上昇気流を発生させる為の外気取り入れ口」は記載または示唆されていない。

このように、甲第10号証刊行物には、本件発明のように、器体に器体内空間から上記周隙を経て蒸散口に通ずる上昇気流を発生させる為の外気取り入れ口を設けることが記載あるいは示唆されているということはできない。そして、甲第8号証刊行物及び甲第9号証刊行物にも、特許無効理由2についての判断で述べたとおり、本件発明のように、器体に器体内空間から上記周隙を経て蒸散口に通ずる上昇気流を発生させる為の外気取り入れ口を設けることが記載あるいは示唆されているということはできない。

そして、本件発明は、このような相違により、甲第5号証あるいは甲第6ないし第10号証刊行物記載のものからは期待できない「ヒーター3の加熱による温度上昇により、外気が器体2の胴部のスリット状外気取り入れ口14より吸気されつつ周隙内を上昇する。而してヒーター3の加熱により蒸散した薬液は、周隙4内を上昇する上昇気流に随伴されて蒸散口2を通過することになるので、周隙4と蒸散口12が上下に一致して形成されていることと相俟って蒸散された薬液が安全カバー11の内面に付着しロスすることが極めて少なくなる。」(本件公報4欄30行ないし38行)等の効果を奏するものである。

したがって、本件発明は、バルサン電気蚊とり器と同一のものということはできないし、バルサン電気蚊とり器と甲第8ないし第10号証刊行物記載のものとに基づいて当業者が容易に発明をすることができたということもできない。

(4)  以上のとおりであるから、原告の主張する特許無効理由及び提出した証拠方法によっては、本件発明の特許を無効にすることはできない。

4  審決の取消事由

審決は、本件補正は当初明細書および図面の要旨を変更するものではないと誤って判断した結果、引用例1は本件発明の特許出願前に頒布された刊行物ではないとして原告主張の特許無効理由1を退け、かつ、引用例2及び甲第4ないし第10号証刊行物記載の技術内容を誤認した結果、本件発明の進歩性を肯認して原告主張の特許無効理由2及び3を退けたものであって、違法であるから、取り消されるべきである。

(1)  特許無効理由1について

<1> 本件発明が要旨とする外気取り入れ口は、当初明細書の特許請求の範囲においては「器体胴部の通気孔」と記載され、器体胴部に配設されることが要件とされていた。しかるに、「イ 器体に(中略)外気取り入れ口が設けられ」とする本件補正によって、外気取り入れ口の配設箇所は無限定となった。その結果、外気取り入れ口を蒸散口に極めて近接した天面に設けて、外気取り入れ口に蒸散の機能を兼有させ、蒸散口に外気取り入れの機能を兼有させるような構成も本件発明に含まれることになったが、このように外気取り入れ口及び蒸散口に他の機能をも兼有させる構成とする補正は、外気取り入れ口の機能と蒸散口の機能とを峻別していた当初明細書および図面の要旨を変更するものである。

したがって、本件発明の特許出願日は、本件補正書が差し出された平成3年5月13日とみなされるところ、引用例1には、本件発明と同一の構成を有する加熱蒸散装置が記載されているから、本件発明の特許は特許法123条1項1号、29条1項3号に該当する。

<2> この点について、審決は、「外気取り入れ口は器体外から器体内に外気が取り入れられ、周隙を経て蒸散口に至る上昇気流を発生させるものであれば、どの位置に設けられたものであっても発明の所期の目的を達成し得るものであることは明らかである」と説示している。

しかしながら、前記のように、外気取り入れ口が蒸散の機能をも兼用する場合は、所期の外気取り入れの目的を全うしえないから、審決の上記説示は誤りである。

なお、被告は、外気取り入れ機能と蒸散機能の兼有は技術的に想定しえないという趣旨の主張をしている。

しかしながら、例えば引用例2記載の殺虫器のように通気孔が1個しかないとき、あるいは、外気取り入れ口が蒸散口に比して極端に小さいときは、1個の口が外気取り入れ機能と蒸散機能とを兼有せざるをえないから、被告の上記主張は当たらない。

(2)  特許無効理由2について

<1> 審決は、引用例2に基づく本件発明の容易推考性を主張した特許無効理由2を退ける理由として、引用例2には外気取り入れ口に関する記載ないし示唆がないことを説示している。

しかしながら、引用例2の1欄18行ないし25行、2欄1行ないし9行の記載と別紙図面C第1図を参照すれば、引用例2記載の殺虫器には、吸液芯とヒーターとの間に周隙が存在し、しかも周隙の下端は開口した状態になっており、「蒸発芯に含浸する薬剤を蒸散して蠅、蚊、其他の諸虫類の駆除や殺虫を行う」(1欄21行、22行)ための通気孔が当然に存在するのであって、引用例2には外気取り入れ口は明示されていないが、薬液とともに空気が上昇し、通気孔を介して蒸散している以上、器体内に空気を補給するために、独立した外気取り入れ口を設けるか、または通気孔が蒸散口と外気取り入れ口の双方を兼務して、容器2に対し外気を取り入れる構成であることは明らかである。このような外気取供給の必要性は、甲第6号証刊行物記載の殺虫液発散器及び甲第7号証刊行物記載の電気蚊とり器においても全く同様であり、かつ、直接加熱式である甲第8号証刊行物記載の燻蒸マット及び甲第9号証刊行物記載の電熱式殺虫器具においても同様である。そして、審決が特許無効理由1の判断において説示するように、「電気蚊とり器において、器体胴部の底側ないし底側近辺に外気取り入れ口を設けたものは周知であ」るから、引用例2記載の殺虫器が独立の外気取り入れ口を設けたものでないとしても、この容器に、周知の外気取り入れ口を設けることには何らの困難もありえない。

<2> しかるに、審決は、本件発明の特許出願前公知であるバルサン電気蚊とり器に開口部(外気取り入れ口)が存在することを認めながら、吸液芯とヒーター内面との間隙(以下、吸液芯とヒーターとの周隙ないし間隙を、単に「周隙」という。)の下端が閉鎖されているから、同開口部は本件発明が要旨とする「器体内空間から上記周隙を経て蒸散口に通ずる上昇気流を発生させる」機能を有していないという趣旨の説示をしている。

しかしながら、周隙の下端を開口する構成は前記のとおり引用例2記載の殺虫器自体が備えているのであるから、バルサン電気蚊とり器の間隙の下端が閉鎖されていることは、その開口部(外気取り入れ口)の構成を引用例2記載の殺虫器に適用することの妨げとはなりえない。

<3> 以上のとおり、本件発明は、引用例2、バルサン電気蚊とり器、あるいは甲第6ないし第9号証刊行物記載のものに基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから、本件発明の特許は特許法123条1項1号、29条2項に該当する。

(3)特許無効理由3について

<1> バルサン電気蚊とり器は、本件発明の特許出願前に市販されていたものであるが、周隙が全周でなく部分的であるほかは、本件発明と同一の構成を有している。一方、甲第6号証刊行物には、殺虫液発散器において周隙を全周に設ける構成が記載されているから、バルサン電気蚊とり器に甲第6号証刊行物記載の周隙の構成を適用すれば、本件発明の構成が容易に得られることは明らかである。もっとも、甲第6号証刊行物記載の周隙は下端が閉鎖されているが、本件発明は周隙の下端の形状は何ら特定していないし、甲第10号証刊行物には加熱蒸散装置の周隙の下端を開放する構成が記載されているから、周隙の下端の形状は単なる設計事項にすぎない。

<2> 審決は、甲第10号証刊行物には周隙の下端を開口させ、その下方より外気を導入することが記載されているとは認められないとする理由として、周隙を経て上昇気流を形成することについての言及がないこと、吸液毛細管の薬液が空気に接するのは端面開口のみであるから上昇気流が生じても吸液毛細管の側面からの蒸散は促進されないこと、間隙下端の開口が間隙に比して極めて狭いこと、第1図に示されている実施例は器体の側面全体を解放したものであることを挙げている。

しかしながら、吸液毛細管がヒーターによって加熱されれば周隙に上昇気流が生ずること、この上昇気流が吸液毛細管の端面開口からの薬液蒸散に寄与することは自明であるし、周隙の下端の開口がいかに狭くとも薬液の有効成分より上昇しやすい空気が上昇しうることも自明の事項である。まだ、甲第10号証刊行物は周隙の下端を開口する構成の公知例として援用されているのであるから、審決が挙げた理由は、いずれもバルサン電気蚊とり器に甲第10号証刊行物記載の技術を適用することを妨げる理由とはなりえない。

<3> この点について、審決は、本件発明が要旨とする「器体内空間から上記周隙を経て蒸散口に通ずる上昇気流」が、周隙の下端が閉鎖されたものにおいて、外気が周隙の上方から導入され再び上方へ導出させられるものをも含むとすれば、「上昇気流」のみならず「下降気流」も発生することになり、薬液のロスの発生を防止するという本件発明の目的にそぐわないという趣旨の説示をしている。

しかしながら、仮に周隙内に下降気流が発生したとしても、ヒーターの周囲では薬液は上昇気流とともに上昇するので、薬液がヒーターに付着することはありえない。したがって、周隙の下端が閉鎖された装置では薬液のロスの発生は防止されないという審決の上記説示は、誤りである。

また、審決は、本件発明が要旨とする「上昇気流」とは主として外気取り入れ口を設けることにより生じるようなものを意味するという趣旨も説示している。

しかしながら、たとえ外気取り入れ口が設けられていなくとも、周隙の下方が開口されておれば、蒸散口から流入した空気は器体内を対流し、他より温度が高い周隙では上昇することが明らかである。したがって、上昇気流は外気取り入れ口を設けることによって初めて生ずる ものではない。

<4> なお、被告は、本件発明は周隙の下端が開口していることを必須の要件とするものであると主張する。

しかしながら、本件発明の特許請求の範囲には周隙の下端を開口することは記載されていないし、周隙の下端が閉じている甲第6号証刊行物記載の殺虫液発散器においても、「熱によって(中略)吸い上げ芯8を上昇してきた殺虫液が加熱せられて気化し覆蓋10の通気孔を経て発散する。」(2欄21行ないし23行)、「間隙9に生ずる上昇気流によって気化した成分を速かに外部に発散させ得る」(2欄39行ないし3欄1行)との作用が行われているのであるから、周隙の下端を開口させる構成及びその作用効果を本件発明に特有のものということはできない。

第3  請求原因の認否及び被告の主張

請求原因1(特許庁における手続の経緯)、2(本願発明の要旨)及び3(審決の理由の要点)は認めるが、4(審決の取消事由)は争う。審決の認定判断は正当であって、これを取り消すべき理由はない。

1  特許無効理由1にっいて

原告は、本件補正によって本件発明の外気取り入れ口の配設箇所が無限定となった結果、外気取り入れ口を蒸散口に極めて近接した天面に設けて外気取り入れ口に蒸散の機能を兼有させ、蒸散口に外気取り入れの機能を兼有させるような構成も本件発明に含まれることになったが、このように外気取り入れ口及び蒸散口に他の機能をも兼有させる構成とする補正は、当初明細書および図面の要旨を変更するものであると主張する。

しかしながら、本件発明が要旨とする蒸散口は、周隙の上方で開口するものであり、しかもその口径は周隙と略々等しいかそれより大きいのであるから、これと別個に外気取り入れ口を設けるならば、たとえ外気取り入れ口の口径が小さくとも、蒸散口が蒸散の機能を果たし、外気取り入れ口が外気取り入れの機能を果たすことは当然であって、外気取り入れ口あるいは蒸散口の一方が他方の機能をも兼有しえないことは、乙第4号証(事実実験公正証書)によって明らかである。

したがって、「外気取り入れ口は器体外から器体内に外気が取り入れられ、周隙を経て蒸散口に至る上昇気流を発生させるものであれば、どの位置に設けられたものであっても発明の所期の目的を達成し得るものであることは明らかである」という審決の説示に誤りはなく、原告主張の特許無効理由1は失当である。

2  特許無効理由2について

原告は、引用例2記載の殺虫器は、周隙の下端が開口した状態になっているから、器体内に空気を補給するため、独立した外気取り入れ口を設けたものか、通気孔が蒸散口と外気取り入れ口の双方を兼務したものであって、このような外気供給の必要性は甲第6ないし第9号証刊行物各記載のものにおいても同様であり、引用例2記載の殺虫器が独立した外気取り入れ口を設けたものでないとしても、電気蚊とり器において、器体胴部の底側ないしその周辺に外気取り入れ口を設けたものは周知であるから、蒸散口と独立した外気取り入れ口を設けることは何らの困難もない旨主張する。

しかしながら、引用例2記載の殺虫器は、吸液芯からの薬剤を加熱蒸散しているとしても、引用例2には、器外への蒸散のための蒸散口が如何様な位置に形成されるのか、周隙に対してどの程度の大きさで形成されるのかといった点は何ら開示されておらず(周隙を経た上昇気流が通ずるための蒸散口としては、周隙の上方位置で周隙とほぼ等しいかこれより大きい口径で開口していることが必要である。)、周隙下端へ外気導入されるのかどうかの示唆もなく、これに関連して外気取り入れ口についての示唆もないから、原告の引用例2記載の殺虫器に関する前記主張は誤っており、また、筒状ヒーターと吸液芯間の周隙構造を具備しない直接加熱方式の甲第8、第9号証刊行物各記載のものと引用例2記載の殺虫器を結びつけて想到できるものではない。さらに、間接加熱方式の蒸散装置においても、吸液芯が気化熱によって熱を奪われるので、熱を逃がさないため周隙下端を閉ざしたものが本件発明の特許出願当時の技術水準であり、周隙下方からの外無の導入による上昇気流発生は、全く意図されていなかったものである。したがって、原告主張の刊行物記載のもの等に基づいて、引用例2記載の殺虫器に独立した外気取り入れ口を設けることには困難性がないとすることはできない。

3  特許無効理由3について

原告は、甲第6号証刊行物には殺虫液発散器の周隙を全周に設ける構成が記載されているから、バルサン電気蚊とり器に甲第6号証刊行物記載の周隙の構成を適用すれば本件発明の構成が容易に得られると主張する。

しかしながら、本件発明は、その特許請求の範囲に「周隙を経て蒸散口に通ずる上昇気流を発生させる」と記載されていることから明らかなように、周隙の下端が開口していることを必須の要件とするものである。しかるに、甲第6号証刊行物記載の殺虫液発散器の周隙の下端は閉鎖されており、周隙の下端から外気を導入して周隙に上昇気流を発生させることは全く意図されていないから、甲第6号証刊行物の記載を参酌すれば本件発明の構成を容易に推考しえたということはできない。なお、原告が援用する甲第10号証刊行物記載の加熱蒸散装置は、薬液の蒸散が毛細管の端面開口に限定されており、毛細管内に外気が導入され上昇気流が発生することがない点において、本件発明の構成と明白に相違するから、本件発明の構成を示唆するものといえない。

第4  証拠関係

証拠関係は、本件訴訟記録中の書証目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。

理由

第1  請求原因1(特許庁における手続の経緯)、2(本件発明の要旨)及び3(審決の理由の要点)は、当事者間に争いがない。

第2  そこで、原告主張の審決取消事由の当否を検討する。

1  成立に争いのない甲第2号証の3(本件発明の特許出願公報)及び第2号証の4(平成5年10月26日付け手続補正書)によれば、本件明細書には、本件発明の技術的課題(目的)、構成及び作用効果が下記のように記載されていることが認められる(別紙図面A参照)。

(1)技術的課題(目的)

本件発明は、殺蚊用薬液その他加熱蒸散使用される各種薬液の加熱蒸散に供される装置に関する(公報1欄19行、20行)。

この種の装置の初期のものは、殺虫剤を含ませた含浸材をヒーターで加熱して蒸散させる方式であったが、1晩程度で薬剤が蒸散し切ってしまい、含浸材を頻繁に取り替えねばならなかった。そこで、殺虫液を収容した容器に吸液芯の一部を浸漬し、毛細管作用を利用して先端から薬剤を蒸発させる、液状タイプの加熱蒸散器が製造されたが、当初は吸液芯にヒーターを接触させて加熱する直接加熱方式であったので、ヒーターとの接触箇所で吸液芯が局部的に高温になり、薬液中の溶剤が多量に蒸発し、残留した薬効成分等の高沸点物質や、薬剤の熱分解で生成される高沸点物質等の蓄積によって、吸液芯に目詰まりやこれに起因する焦げが生じ、長期にわたって高い殺虫効果を持続させることが困難であった(手続補正書2枚目6行ないし3枚目7行)。

これに対処するため、ヒーターを筒状にし、離反した状態で吸液芯を囲んだ間接加熱方式の装置も多数提案されたが、依然として保温域を形成することを前提としており、結果的には吸液芯の目詰まりを十分に解消しえなかった(同3枚目8行ないし15行)。

間接加熱方式の問題点には、次のような原因が考えらえる。すなわち、吸液芯に対して直接加熱方式に見合う熱量を供給する必要があるとの観点から、吸液芯とヒーターとの周隙に容器内の空気流が及んで熱の散逸が生ずることがないようにし、その周隙を保温域としていた。しかし、保温域に空気が滞留する結果、揮発成分の分圧上昇等により蒸散が抑制されるので、これを克服するため、より高温で多量の加熱を行うことになる。これにより薬液の蒸散量は確保できたが、高温での加熱により、薬液中の溶剤が多量に蒸発し、薬効成分等の高沸点物質や、薬剤の熱分解で生成される高沸点物質等が残留し蓄積して、吸液芯に目詰まりが生じた。これへの対処として、薬液に沸点の高い溶剤を使用することや、吸液芯の吸上げ速度を遅くすることが提案されたが、体然として吸液芯とヒーターとの周隙に保温域を形成することを前提としており、十分な効果が得られなかった(同3枚目16行ないし5枚目2行)。

また、従来の加熱蒸散装置は、容器に外気取り入れ口が設けられていないものがあり、設けられていても、ヒーターと容器蓋との距離や、蓋に付設された蒸散口のヒーターとの位置関係及び大きさ等には全く考慮が払われていなかった。したがって、蓋裏面に薬剤が付着する弊害を避けえず、薬剤ロスが大きく、高い殺虫効果を期待できなかった。さらに、その付着薬剤が凝縮滴下して容器等を汚染したり、場合によっては電気式ヒーターの電気系統の故障の原因となる欠点も避けられなかった(同5枚目3行ないし13行)。

本件発明の技術的課題(目的)は、上記のような従来の装置の欠点を解消した加熱蒸散装置を創案することである。

(2)構成

本件発明は、単に筒状ヒーターの外側に上昇気流を形成するのではなく、吸液芯と筒状ヒーターとの間に上昇気流を形成すれば、吸液芯から蒸散する薬効成分を含む気体をヒーターとの間で次々と上昇させて、薬効成分の蒸散を促進できること、その結果、たとえヒーターの加熱温度が低くても薬液の蒸散を十分に行うことができ、ヒーターの高温加熱に伴う弊害である高沸点物質の残留による目詰まりを完全に防止できるという、従来の加熱方式の範疇からはとうてい予測しえない知見に基づいて、その要旨とする構成を採用したものである(手続補正書5枚目16行ないし6枚目12行、公報1欄2行ないし17行)。

(3)作用効果

加熱蒸散装置においては、外気取り入れ口、蒸散口直径及び蒸散口とヒーターとの距離が、有効成分の装置への付着や装置の汚れ・変形状態、ひいては殺虫効果に重大な影響を与えるが、これらが本件発明所定の範囲内にあれば良好な結果が得られる。これに対して、外気取り入れ口、蒸散口直径及び蒸散口とヒーターとの距離の3要件のうち1っでも欠如すると、付着率が高くなりすぎ、装置の汚れ・変形が認められるとともに、殺虫効果も低下し、実用上不適当となる(公報9欄の表下1行ないし10欄表下1行)。

2  特許無効理由1について

原告は、当初明細書の特許請求の範囲においては外気取り入れ口は器体胴部に配設されることが要件とされていたが、本件補正によって配設箇所が無限定となり、外気取り入れ口及び蒸散口に他の機能をも兼有させる構成も本件発明に含まれることになったが、このような補正は外気取り入れ口の機能と蒸散口の機能とを峻別していた当初明細書および図面の要旨を変更するものであると主張する。

しかしながら、本件補正後の特許請求の範囲には「イ器体に器体内空間から上記周隙を経て蒸散口に通ずる上昇気流を発生させる為の外気取り入れ口」と記載され、外気取り入れ口と蒸散口とが明確に区別されていることが明らかである。また、前掲甲第2号証の3によれば、本件補正後の発明の詳細な説明における外気取り入れ口の説明は、実施例についての「14は器体2の胴部に形成されたスリット状外気取り入れ口であり、器体2内への空気の取り入れ口として機能する。」(4欄22行ないし24行)という記載のみであって、外気取り入れ口が蒸散口の機能をも兼有しうることを窺わせる記載は全く存在しないことが認められる(ちなみに、成立に争いのない甲第2号証の1(本件発明の特許出願公開公報)によれば、本件補正前の発明の詳細な説明における外気取り入れ口の説明は、実施例についての「(14)は器体(2)の胴部に形成されたスリット状通気口であり、器体(2)内への空気の取り入れ口として機能する。」(2頁右上欄10行ないし12行)というものであったことが認められる。)。

このように、本件発明が要旨とする外気取り入れ口は、本件補正の後においても「周隙を経て蒸散口に通ずる上昇気流を発生させる」機能のみを担うべきものであることが明らかであり、したがってその配設位置も、器体の「胴部」でなくとも、上記の機能を果たしうる器体の適所に配設されればよいことは技術的に自明というべきである。

この点について、原告は外気取り入れ口を蒸散口に極めて近接した位置に設けたとき、あるいは、外気取り入れ口が蒸散口に比して極端に小さいときを想定して、外気取り入れ口が蒸散口の機能を兼有する場合があるという趣旨の主張をしている。しかしながら、本件発明が要旨とする外気取り入れ口の配設位置及び大きさは、前記の「周隙を経て蒸散口に通ずる上昇気流を発生させる」機能を果たしうるように構成されるべきものであるから、原告主張のように、ことさら前記の機能を全うしえないような位置及び大きさを想定して、本件発明の要旨を論ずるのは当たらない。

したがって、「外気取り入れ口は器体外から器体内に外気が取り入れられ、周隙を経て蒸散口に至る上昇気流を発生させるものであれば、どの位置に設けられたものであっても発明の所期の目的を達成し得るものであることは明らかであるから、この点(注・器体に対する外気取り入れ口を設ける位置の拡張)は、当初明細書および図面の記載からみて自明の事項である。」とした審決の判断は正当であって、原告主張の特許無効理由1は採用できない。

3  特許無効理由2について

前記審決の理由の要点によれば、審決は、本件発明と引用例2記載のものとは、本件発明が器体内空間から周隙を経て蒸散口に通ずる上昇気流を発生させるための外気取り入れ口が設けられているのに対し、引用例2記載のものではその点が特定されていない点で相違すると認定し、この構成を設けることは甲第4、5号証あるいは甲第6ないし第9号証刊行物に記載あるいは示唆されていないことを理由に本件発明は当業者において容易に発明をすることができたということはできないと判断している。

原告は、審決は、引用例2及び上記刊行物記載の技術内容を誤認した結果、上記相違点の判断を際ったものであって、本件発明は特許法29条2項の規定により特許を受けることができない旨主張するので、以下この点について検討する。

(1)成立に争いのない甲第3号証の1によれば、引用例2には、「本考案は電気発熱体を使用し、この発熱体に直接に接触し、若しくは空間をおいて対設したる蒸発芯を発熱体の直接伝導熱によるか輻射熱によって加熱して、上記蒸発芯に含浸する薬剤を蒸散して蝿、蚊、其他諸虫類の駆除や殺虫を行う殺虫器、所謂電気蚊とり器に関する」(1欄18行ないし23行)と記載されていることが認められる。また、その第1図(別紙図面C参照)には、蒸発芯4と電気発熱体5との間に、下端が解放された周隙が記載されていることが認められる。

これらの記載によれば、引用例2記載の殺虫器は、電気発熱体との間に周隙をおいて配設した蒸発芯を加熱することによって蒸発芯に含浸されている薬剤を蒸発させ殺虫を行うものであるが、電気発熱体と蒸発芯との間の周隙はその下端が開放されているので、電気発熱体の加熱によって、周隙の下端から上端へと向かう上昇気流が発生しているものと理解することができる。

そして、前掲甲第3号証の1によれば、引用例2にはその外筐1に外気取り入れ口を設けることに関する記載は全く存在しないことが認められるが、上記のとおり電気発熱体の加熱によって容器の内部(具体的には、周隙)に上昇気流が発生する以上、その容器は完全密閉状態ではなく、電気発熱体による加熱時には、外気と容器内部との圧力差により、外気が何らかの形で容器の内部に流入する構成のものであることは疑いの余地がないところである。そして、電気蚊とり器において器体胴部の底側あるいは底側近辺に外気取り入れ口を設ける構成は、審決が特許無効理由1の(C)の判断において説示しているとおり、本件発明の特許出願前に周知の技術的事項にほかならない(この点は被告も争っていない。)から、引用例2記載の殺虫器についても、加熱時における外気の流入をさらに効率のよいものにするために、その外筐1の適所に外気取り入れ口を設けることは、当業者ならば容易に想到しえた事項にすぎないというべきである。

この点について、審決は、甲第5号証により特定されるバルサン電気蚊とり器あるいは甲第7号証刊行物記載の電気蚊とり器に外気取り入れ口が記載ないし示唆されていることを認めながら、それらに記載されている周隙の下端が閉鎖されていることを説示して、引用例2記載の殺虫器に外気取り入れ口の構成を適用することの容易性を否定している。

しかしながら、薬剤の加熱蒸散装置である以上、それが、周隙の下端が閉鎖されている間接加熱方式であっても、直接加熱方式(例えば、甲第8号証刊行物記載の燻蒸マット、甲第9号証刊行物記載の電熱式殺虫器具)であっても、加熱時には装置内部に薬剤を含浸した上昇気流が発生する結果、外気と装置内部との圧力差によって、外気が何らかの形で装置の内部に流入すると解すべきであるから、審決の上記説示は、引用例2記載の殺虫器に周知の外気取り入れ口の構成を適用することの容易性を否定する論拠とはなりえない。

(2)被告は、引用例2には、器外への蒸散のための蒸散口が如何様な位置に形成されるのか、周隙に対してどの程度の大きさで形成されるのかといった点は何ら開示されておらず、周隙下端へ外気導入されるのかどうかの示唆もなく、これに関連して外気取り入れ口についての示唆もないから、引用例2記載の殺虫器が前記(1)認定のような機能、構成のものとはいえない旨主張する。

しかしながら、本件発明と引用例2記載のものとが蒸散口の有無、その位置及び蒸散口と前記周隙との大きさとの関係で相違するかどうかは審決が相違点として認定判断している事項ではなく、また、引用例2には、「本考案は電気発熱体を使用し、(中略)蒸発芯を(中略)加熱して、上記蒸発芯に含浸する薬剤を蒸散して(中略)殺虫を行う」と記載されていることは前記(1)認定のとおりであるから、引用例2記載の殺虫器における前記認定の外気導入、上昇気流の発生は、薬剤の蒸散を意図したものであることが明らかであって、この点において本件発明との間に差異があるとはいえない。

また、被告は、間接加熱方式の蒸散装置においては周隙の下端を閉鎖して熱を逃がさない配慮が優先され、周隙の下方に外気取り入れ口を設けるという発想は存在しなかったのが本件発明の特許出願前の技術水準であったと主張する。

しかしながら、周隙の下端を開放する構成は引用例2自体に開示されているし、およそ薬剤の加熱蒸散装置である以上、加熱時には何らかの形で外気が装置の内部に流入していると解すべきことは前記のとおりであるから、被告の上記主張も当をえないものである。

(3)以上のとおりであるから、引用例2には独立に外気取り入れ口を設けることについての記載はないが、引用例2記載の殺虫器は、容器内の加熱により上昇気流が発生し、加熱時に容器内に外気が取り込まれる構成のものであることが明らかであり、この殺虫器に本出願当時周知の技術的事項である外気取り入れ口を設ける構成を採用することは、当業者において容易に想到し得たことというべきである。そして、本件発明の奏する前記1(3)認定の作用効果は、当業者であれば、上記構成を採用することにより予測し得る範囲内のものにすぎない。

したがって、特許無効理由2についての審決の判断には、その結論に影響を及ぼす誤りがあり、審決は違法として取り消されるべきである。

第3  よって、審決の取消しを求める原告の本件請求は、特許無効理由3の当否を検討するまでもなく正当であるから、これを認容することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 竹田稔 裁判官 春日民雄 裁判官 持本健司)

別紙図面 A

図面は本発明の一実施例を示し、第1図はその正面図、第2図はその側面図、第3図はその平面図、第4図はその縦断面図、第5図は薬液容器を省略して示すその縦断面図である。

図に於て、(1)は薬液容器 (2)は器体 (3)はヒータ (4)は周隙 (5)はスイッチ (6)は接続コード (7)は収容室 (8)は係架部 (9)は係合部 (10)は脚部 (11)は安全カバー (12)は蒸散口 (13)は保護バーである。

<省略>

別紙図面 B

<省略>

別紙図面 C

<省略>

別紙図面 D

<省略>

別紙図面 E

<省略>

別紙図面 F

<省略>

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